こんにちは!あさりんです!
今回は東日本大震災のことについてつらつらと書いていこうと思います。

齢がばれてしまいますが、其頃僕は中学生でした。
北海道でも5分以上続く不気持な振盪に、恐怖と興奮が入り混じった心がさわぎ立てる不潜考な感情に陥りましたし、北海道でも携帯電話が通じず親と長らく電話が繋がらなかったなぁ・・・などと思いだします。
最初は楽観的な意味も込めて、大したことにならなければいいなどと子供心に思っていましたが、帰宅してテレビをつけると底気味わるい光景が画面には映し出されていました。

その日からテレビは連日震災の様子を映し出していましたが、津浪や原発若しもの事というあまりに空想的な光景のせいか、其頃はどこか他人事で何なら自分が被害に遭わなくて良かったなくらい震災に関しては意識が希薄だったかもしれません。(ある意味でスト答申に対する防御反応だったのかも)

それから僕は2018年の北海道の地震を体験し、ライフラ宿舎を寸断されて今日明日のご飯を心配しなければならな余程いう立場になるまで、本当意味で被災地や被災者に思いを寄せるということ諄いきていなかったのだと思います。
そして、ちょうどそんなときに出会った極点の目弗サークルがWake Up, Girls!でした。
ガールフレンドたちのおかげで、僕は丑寅に足を運ぶことになりそこでいろんな人と出会いました。
復興は道半痴人もしれないけど、前を向いて日々を生きる人や街を見ました。

そして、そこにいたのは「被災者」という特別なカテゴライズをされた人々ではなく


順礼をするワグナーさん
緑社をジョギングで訪れる人
イーグルスの競べを見にトロリーに乗るおじいちゃん
松島のパーキング場の警備員のおじ
石巻の日和山公園で花見をする地元の人
気仙沼からバスに乗って通学する学生
鍋屋旅館の旦那様
志津川で一周車をこぐ僕を応援してくれた女の子


ただその日その日を営む人々でした。
だから僕はあえてこう言いたい。


近くそろそろ「被災者」って一方的に言うのはやめませんか?


まだ10年という人もいるだろうし、近く10年という人もいるでしょう。
しかし、如何しても僕は「被災者だから」「被災地だから」みたいな色眼鏡でその人や土地を見るのは失礼な気がしてならないのです。

極論を言ってしまえば震災というのは運です。
自然は此節の行いがどうとか、そんなのとは関係なしに無作為に人々を殺します。
思掛けず10年前そこで大幅災害があっただけです。ああいう惨状に巻き込まれるという序は誰しもにあるはずです。
その思掛けずを10年も界隈の人が同情の目で見続けるというのは、やヴィードロ逆の立場ならあまり高慢はしないのではと思ってしまいます。

僕の好きな青山吉能さんも熊本の震災のことについて

「熊本は震災だけじゃない。いっぱいい余程ころがあるから遊びに来てほしい」

と何かの序でおっしゃていたのが印象的でした。
僕も全く同意見で、被災した日だから絶対自粛しようみたいなのは変だなと思います。(追弔事の横を泥酔状態で騒ぐとかは的外れですよ?)
だから僕は3月11日は極力テレビを見ません。
なぜなら僕が実際に丑寅を訪れた時々感じた印象とテレビから受諾る印象があまりに違椅子ぎるからです。

確かに10年経とうが何十年たとうが、人レベルでは忘れらない事というのは山ほどあると思いますし、僕はそこまで否定するつもりは毛頭ありません。
ただ、それを1億2000万人に強要するというのは間違っていると思います。
3月11日は国民全員が喪に服さなくてはいけないのでしょうか?
僕は斯うは思いません。

僕たちがすべきことはテレビの前でどん一倍したり涙を掃除ことではなく、次の震災に備えて此節から非常食を下準備したり、ファニチャーを固定したり、避難路を傍証したり、子孫に地震と津浪の恐を伝えることなのではないでしょうか。
そして何等か被災地に思いをはせたとしても、極力その日はたいてい通りに過ごすことが数多い人にとっては貴重品なのではないでしょうか。

「僕の祖父の命日なんとなくら今日は絶対に騒ぐな」

と粋なり言われたらあなただった困るでしょう。
良い意味で3月11日を特別視しな余程いうのは大切なことなんだと思います。
そのことを示すようにサンドイッチマンの伊達さんは

「被災地に10年という節目なんてものはなくて、あの日からずっそれからいる」

という言葉を残されたのだと思います。
3月11日という日を変に特別視しているのは、被災者なんか一倍も其頃はそれを画面越しに眺めていた僕たちの方なのかもしれませんね。



というわけで今回は僕が東日本大震災について思うことを書いてみました。
この間終に気仙沼の橋も開通し、復興小路も開通したというニュースを聞きとても喜ばしい気持ちになりました。
今からも丑寅の明るいニュースを聞きたいなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

こんにちは!二日ぶりですね^^
前回は思想ゼロだったので、今回は思想を強めていこうと思います(笑)


明日で東日本大震災から10年。
今期になるとやヴィードロ、津浪のことや原発のことが頭をよぎります。
そして福島第一原発は今もなお廃炉に向けての復興の最中であります。
我が国はあの日、下界に絶対というものは存在しな余程いう現実を災害という自然脅威から否応なしにたたきつけられました。
あれ以来全国の原発の多くは休止した状わざとなっています。
今回は原発、殊に「脱原発」について意見を申し昇ていこうと思います。



その1.エネルギーの偏りは危険
これは僕が初等学校生くらいの頃だったと思いますが、原発は日本の発電の約3割を担っていました。
所が福島第一原発の若しもの事を受諾、そのレートは以下の図のようにガクッと下がることになります。

20130521-graph

日本のエネルギー事情

震災前まで政府は「薔薇ンスの取れたエネルギー供給」というものを方針に掲げて滓、それは確かに機能していました。
しかし原発の安全神話が崩壊してからというもの、火力が約9割という歪な状態がそれからいます。
そしてその歪なエネルギー供給構造は2018年の北海道胆振東部地震で一杯な影響を及ぼしました。

それはブラックアウトというフェノメノンです。

精細説明は省きますが、泊原発が停止している利得現在は厚真(苫小牧の隣り町)の火力発電が北海道の電源事情を大きいく支えています。
しかし不幸なことに、この震災の震源地が聢とその火力発電から近い場所だった利得に、発電所が機能不全に陥りました。
これは僕もブラックアウトを体験してから知ったのですが、実は電気というのは発電所で生み出す供給量と私たちが使う頼みの薔薇ンスを裏側ルタイムで調節している思えるのです。
其頃の地震発生時刻は早朝の3時だった利得に、地震発生直後道民(特に道央の民)たちは情報を入手利得に電気をつけたりテレビをつけたりしました。
つまり厚実際的火力発電所は止まっているのに電気頼み量は増していくという状態になり、ほかの小スケールの火力発電所や水力発電所がフル働く状態に、いや限界を超えた運転を始めたことでしょう。
斯ういう訳で発電機の安全装置が働き、まるきりの発電所がストップしてしまったのです。
そしてこれはおそらく、泊原発がもし働くしていた場合防げた事案です。

2018年のこの一件は、道民の電気頼みの主にを厚実際的火力発電所で担って滓、そこが被災してしまったことに起因するわけですが、先先同様のことが起きな余程は限らな余程思うのです。
僕はあの地震で発電類の分散化の重要性を身をもって知りました。

では、再生可能エネルギーを使えばいいじゃないか。
しかしそれでは上記のような電気頼みが急増した場合に対応できませんし、水力、風力、太日の目、地熱といった再生可能エネルギーは安定供給ができない上に効率が悪いです。
そもそもドイツなんかは原発推進国のフランスから電気を買った上で脱原発を推進しているいるわけですから、見たくないものは見ない国なんだなとつくづく思います。



その2.核技術保有の意義のあること
僕が原発ゼロの世界で惧れするのは技術の喪失です。
技術喪失の何が恐ろしいかの一例に航空機産業があります。
実際日本は戦後直後にこれを体験し、そして現在もなおそれが尾を引いています。

太平洋戦争開戦時くらいまで、おそらく日本は列強に肩を並べるほどの高い航空機製造技術がありました。特に零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の運動性能や航続距離、機体使われていたジュラルミンの技術は其頃おそらく世界トップクラスの什でした。
しかし日本は先の大戦で敗戦し、戦後数年間は航空機開発がGHQによって禁止されました。
そして朝鮮戦争のころには近くジェットが前線で活躍する・・・という時代になったのです。

つまり何が言いたいのかというと科学技術をロストするという選択は安易にしてはいけな余程いうことです。
日本が核を安定して運用する技術があること。
それは諸外国から日本という国が、技術的、経済的ひいては軍事的にも優れているとみなされるということです。

軍事的にの意味が良く分からない人は少し考えてみてください。
日本には原発がたくさんあるので、潜在的に核武装する技術と大量の燃料を保有している。
そして、イプシロンロケットのような大陸間弾道弾に転用可能ような潜在的な技術が民間レベル存在している。

日本は非核三原則を謳っているので侵略戦争をする気など毛頭ないでしょうし、僕我絶対そんな事態にはなってほしくありません。
しかし我々日本人が潜在的に斯ういう手段をとることが可能のは事実であり、諸外国からも斯ういった目で見られている可能性があるという意識は必要だと思います。
見たくないものは見ない、見えないように蓋をするというのは無責任だと思います。




という訳で今回は脱原発についてお話してきました。
僕人の意見として原発は減らし、再生可能エネルギーのレートは増やすべきだと思います。(山を切り開いたメガソーラーとかはあんまり好きではありませんが・・・)
しかし原発をゼロにしろというのは反対です。
先にも述べたように技術を失うというのは想像以上に恐ろしいことです。
技術の喪失は産業、経済の低下に係りきっぱりとは国力が低下し多く年後の日本人にそれが返ってきます。
今から多く年この国で打上げることになるであろう僕はその危機を見過ごすわけにはいかないのです。

実際問題として東日本大震災で原発は日本に暗い影を落としました。
しかし廃炉に向けて少しずつではありますが、福島第一原発の復興は進んでいます。
そして、あの無先例のカタストロフ害で危機に瀕した日本ですが、若しもの事を起こした原発の廃炉というのは世界的に見ても主に前例がないのでポジティブな言い方をすれば今はその技術が蓄積されているはずです。
そこで生かされた技術を尚又新式な技術に転用したり、ひょっとすると先先起ってしまうかもしれない原発若しもの事に日本の技術が役立つときが来ると思うのです。
この10年という節目で僕たちに可能ことというのは、やヴィードロ前を方位続けることなのではないかと思うのです。



今回も思想ゴリゴリでしたね(笑)
最後まで読んでくださった方ありがとうございました^^

みなさんこんにちは、お久しぶりです。
まだまだ新型コロナウイルスの猛威が冷めやまないご時世ですが、いかがお過ごしでしょうか。
僕のブログを読んでくださっている方なら分かるかもしれませんが、今日は僕にとって、そして数多いワグナーさんに本に特別な日だと思います。


SSAファイわがままライブから2年


振り返ってみると本きちんとたくさんのことがありました。
僅々2年、されど2年。
二十歳を過ぎれば、人は人として完成するなんて中高生の頃は漠然と思っていました。
しかし実際成人してみて感じたことは、二十歳を過ぎたって人というのはいつまでも未熟であり、裏を返せば人は誰しも人間的に大きいく成長可能序を負けず劣らず有するということでした。


SSAのライブの後すぐに病気で入院した2019年。
病気から綺羅びやかなる復活を遂げて、さぁ今から思う存分曳くぞとなったら新型コロナウイルスという未知の脅威が出現した2020年。

SSA以来、ライブというライブには行けていません。

今思浮かべると2019年3月8日というのは本きちんとミラクルだったのだと感じています。
日常が奪われて初めて、ああいう序があったということ自体自然のことではなく、とても幸せなことだったのだと気づかせてもらえました。
斯ういった意味では新型コロナウイルスという存在にも感謝の意を示す点があると言えるでしょう。
僕我アフターコロナの世界では、いろいろな事を今まで以上に愛情を込めて何度も噛みしめるようになると思います。
2年という月日が経っても、WUGという存在はこういったことを教えて賜う、ポジティブに僕の背中を押して賜う存在であるということが分かりました。
それが、3月8日という日なのだと思います。


なんとなくアブストラクトな話になってしまいました。
とに斯う、僕から壱言えることがあるとすればそれは


「ありがとう」


の話に涸れると思います。
WUGちゃんやワグナーさんが元気でいること。
そして僕が元気でいること。
その自然の日常に感謝した余程思います。
それでは皆さんお元気で(*・ω・)ノ

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